Wild Journey

良き価値を取り戻すための荒旅

過去改変の想像力 『スロウスタート』論

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(公式サイトhttps://slow-start.com/)

 


ほんの些細なこと。『スロウスタート』を観て思ったほんの些細なことを少し話そうと思う。 

この春から高校一年生になる、人見知りな女の子、一之瀬花名。彼女はとある理由から都会の両親のもとを離れ、いとこの志温が管理人を務めるアパート“てまりハイツ”で暮らしている。新しい高校、新しい毎日の中で起こる、素敵な出会いの数々。花名はまわりの人たちとゆっくり心を通わせて、楽しくてきらきらとした時間を過ごしていく。子供みたいにはしゃいだり、大人みたいにドキドキしたり……かわいさ溢れ、心あたたまる、スロウな成長物語。(アニメ「スロウスタート」公式サイトより)

 

 

あらすじを読んでもらえば分かるかもしれないが、本作は「空気系(日常系)」というジャンルの、いわゆる“萌えアニメ”というやつだ。『けいおん!』『ご注文はうさぎですか?』『きんいろモザイク』など同ジャンルを代表する作品を次々と世に送り出している芳文社まんがタイムKRコミックスで本作は連載されている。

 

もちろん、萌えアニメなんだから肩の力抜いて観ろよ(笑)

という苦笑交じりのご忠告もっともであるので、本記事は「あーかわいい。ほんとかわいい。お、今のとこと深いな。え、深いんじゃね?」というほんの些細な感想である。

 

突然だが、ホイーラーの遅延選択実験をご存知だろうか。量子論における有名な思考実験だが、萌えアニメの感想で量子論を詳細に述べても仕方がないので、その結果だけを簡潔に述べようと思う。

その実験結果とは「現在の行い」で「過去」を変えることが出来るというものだ。

そんなバカなことあるだろうか。この思考実験が正しいとするならば、因果関係が逆転することになってしまう。現在が「原因」、過去が「結果」となってしまうのだ。「現在の行い」に起因して「過去の状態」が変わるというこの逆因果は、しかし、量子論の研究成果として今もなお否定されるには至っていない。未来は過去である。

そもそもアインシュタイン相対性理論において証明したように個々人(またはその時々)によって“時間の流れ”は異なるのだ。時間とは伸び縮みするもので…

 

と、そろそろ『スロウスタート』の話をしよう。
うん、ホイーラーの遅延選択実験とか量子力学とか相対性理論を出したのは、正直言うとインテリぶりたかっただけである。

だがまったくの無関係という訳でもない。本作でも同じように小さな過去の改変が行われているのではないかと思うのだ。もちろん屁理屈だが(それは追々)。

 

 

さて“スロウスタート”というタイトルはどういう意味だろうか。


それは、アニメでは第1話のラストシーンにおいて唐突に明かされた。入学式からメインキャラの顔合わせ、初交流と日常系アニメの王道をなぞったかのような本編が終わり、エンドロールも流れた後のCパート。最後の最後に、主人公・花名によるナレーションで衝撃の設定が明かされるのである。

「一之瀬花名。17歳。中学浪人で1年遅れのスロウスタートだけど私の高校生活が始まりました。」

中学浪人!? 最後の最後にとんでもない設定をぶち込んできたな。
まぁ“中学浪人”といってもそんなに重い理由があるわけではない、というところはいかにも日常系作品らしい。花名は高校入試直前におたふく風邪にかかってしまい、受験できなかったという設定だ。そして、花名は中学浪人をひどくコンプレックスに感じている。1年間の浪人生活のほとんどを引きこもって受験勉強に費やしたことも重なり、すっかり自信を喪失して、常に不安を感じるようになってしまっていた。そのため、百地たまて、十倉栄依子、千石冠らと出会い仲良くなっていく過程において、なかなか中学浪人という秘密の過去を打ち明けることが出来ない。そんな一抹の後ろめたさを抱えながらも、とても充実した日々を過ごしていく、というのが本作の大まかなストーリーだ。

そして、アニメ第11話(と第1話)を、特に印象的なエピソードとして取り上げたい(異論はないだろう!)。

まずはアニメ第1話。入学式。すっかり自信を喪失し、なかなか自分から(1歳年下である)クラスメイトに話しかけることが出来ないでいた花名。しかし、自己紹介も緊張して上手くこなせない花名を見兼ねてか、担任の榎並先生が「お、一之瀬、今日が誕生日じゃないか」と一言、声をかける。するとそれがきっかけとなり、コミュ力に長けたたまてが放課後に「お誕生日の人さーん」と話しかけてきた。それにつられるように栄依子と冠も集まってきて、ここにメインキャラクターが勢ぞろいすることになる。クラスメイトとやっと話すことができた花名は、このきっかけを活かしたい!と考える。しかし、あと一歩が踏み出せない。それを見た栄依子は気を利かせて「遠回りになるけど一緒に帰らないか」と花名を誘う。そして、帰り道、駅の近くの桜並木をみんなで見る。1年間ずっと引きこもっていた花名は、その桜に何とも言えない感動を覚える。そんな花名に栄依子は次のように問いかける。

「ね、遠回りして良かったでしょ?」

この台詞こそが本作の重要なテーマを表している。

まさに完璧な第1話だった。
そして、これは第11話のあの場面に繋がっていくのである。

当然、2~10話では“かけがえのない日常”が積み重ねられてきた。テスト勉強をしたり、お泊り会をしたり、プールに行ったり、秘め事を教えてもらったりと、4人の間に蓄積されていった日常はたかが数か月のものとはいえ、何物にも替えがたい絆となっていた。

そのうえで、第11話ではみんなで夏祭りに行く。さんざん屋台をまわったあと、祭りの会場から離れて、くじ引きで当てた手持ち花火を楽しみつつ、とりとめのない会話をしている。すると、打ち上げ花火が空を彩り始めた。それを見て、たまては「我々の夏休みを祝うような花火ですね!夏休みは始まったばかりですからね。これから楽しいことがいーっぱいありますね」と楽し気に話す。みんなは「そうだ」と幸せをかみしめる。そして、花名は花火の余韻に浸りながら、1話の栄依子の言葉を思い出していた。「遠回りして良かったでしょ?」心の中で、花名は次のように答える。

「うん、良かった。遠回りして良かったよ!」

1話では下校中の寄り道を指していた“遠回り”に対して、花名は「(遠回りして)良かった」と思う。それが11話では人生の寄り道(中学浪人)を遠回りと表現して、心から「良かった」と思うようになった。

花名は中学浪人(高校浪人と言うべきだとも思うが←今更)をコンプレックスに思っていた。しかし、11話において「遠回りして良かった」と口にするほどになった。「浪人」したという過去はちっとも変わっていない。しかし、ここでは小さな過去の改変が行われているとは言えないだろうか。もちろん、量子論のそれとはまったくもって違うものだ。ただ、躓いて転けてしまったところからのリスタートか、今に繋がる(休憩/休息後としての)スロウスタートでは大きな違いがあるだろう。スタートをやり直さなければいけないのか、過去や今を含めての一連を“ゆっくりのスタート”と位置付けられるかはまったく別物だ。11話では花名の浪人に対する認識がリスタート(やり直し)から、スロウスタート(遠回り)へと変わったのだ。1話の栄依子の一言によって(そして、2~10話の積み重ねによって)、花名は順を追ってリスタートからスロウスタートへと変わることができたのではないか。

この「やり直し」から「遠回り」への転換こそが小さな過去の改変である。

「浪人した」という過去は、その事実こそ消せなかったものの、恥じるべき心のシコリとしての過去から、今に繋がるための過去へと変わったのだ。

この小さな(そして大きな)過去の改変は、何によってもたらされたものだろうか。それはやはり「現在」である。「現在の行い」が過去へと訴求して、過去を書き換えていったのだ。

これはもちろん屁理屈である。変わったのは過去の特定の出来事に対する“意味合い”だけである。しかし、ここで大事なのはそういうことなんだと思う。僕たちはこの花名たちが教えてくれたことを大切にするべきだ。

タイムマシーンなんてなくたって、過去は変えられる。

花名は、たまてや栄依子、冠たちと出会ったことに幸せを感じている。そして、この素晴らしき友たちに出会うには、「浪人するしかなかった」のだ。これはあくまでも結果論である。

だが、もしもタイムマシーンがあったとしたらどうだろう。もし本当に過去に戻れたとしたら、過去に戻った花名はどのような選択をするだろうか。現在のみんなとの関係性を捨てて、コンプレックスであった浪人を未然に防ごうとするだろうか。

僕は浪人を「選択する」のではないかと思う。もはや浪人云々は花名にとって、優先度の高い事項ではなくなった。過去に戻ったとしても、花名は浪人を選択して高校入学までの1年間を、みんなに「私はスロウスターター(浪人生)なのだ」という小さな秘密を打ち明けるためのシミュレーションに費やすんじゃなかろうか。
「栄依子ちゃん…みんな…今度は私も秘密をちゃんと話すからね」といった感じで 。

そして、結局『スロウスタート』を小難しくこねくり回して何を言いたいのかと言うと、要は次のようなことなのである。

過去は変えることができないというのは間違いだ。過去と未来は「過去→未来」ではない。その矢印は双方向的なのだ。過去の出来事それ自体を変えることは出来ない。しかし、現在をより良くすることによって、特定の過去に対する意味合いは大きく変わってくる。これはハイデガーの語る運命論に近いかもしれない。つまりは、現在をより良く生きることで、特定の過去がピックアップされて、結び付けられて、意味が形成されていく。その意味を運命(だった)というのだ。つまり、運命は過去が先にあるのではない。より良い現在を手に入れることが先にあり、その現在に繋がった過去が後になって選び出され、運命と名付けられる。

浪人という過去は、その事実性は何の揺らぎもない。しかし、その内容は大きく変化した。

運命は「現在→過去」へと向いているのだ。現在をより良く生きることは運命を呼び寄せる。そして、自分の生を肯定する手助けとなってくれるのだ。

話はだいぶ遠くにまで飛んでいったような気がするが、とにかくこの記事は僕が『スロウスタート』11話にとてつもなく感動してしまったことに端を発する。どの学校を受験するか、現役か浪人か。いつどの学年として入学するか。どこかがほんの少し違っただけで出会えなかった人がいる。そして、どんな人と出会うかで過去の自分を肯定できる。浪人という過去を愛おしくさえ思える。

“浪人したから”こその幸せだと、「遠回りして良かった」と、花名が思えて本当に良かった。

 

ちなみに、僕は圧倒的“花名ちゃん推し”です (完)